2022年の例会
☆3月の例会 参加者は、午前 男性3名 女性4名 午後 男性1名 女性3名でした。 午前中は、総会があり、その後はエピソードを発表しながら自己紹介、そして勇気づけの歌を詠みそこからの気づきの話しあい、エピソード分析をしました。エピソード分析は、職場での陰性感情を持った出来事についてでしたが、エピソードの仮想的目標を協力的ととり、ロールプレイをしたり、相手役さんやご本人の良いところを探したりしながら、代替案を出していきました。私は、ロールプレイで相手役をさせていただき、その後ご本人役もさせていただいたのですが、相手役さんは言い方ひとつでこんなにも協力的な気持ちになるんだと学ばせていただきました。 そして、ロールプレイを通して、事例提供者さんの気持ち、相手役さんの気持ちのどちらも体験することで、改めて自分との日常の中でいかに相手の気持ちに思いが至れるかが大事だと感じることが出来ました。(娘よ、ごめんね。) 午後からは、カウンセリング練習で最近犬を飼いはじめた我が家でのエピソードを取り上げていただきました。 初めは、散歩も餌やりもケージのトイレ掃除も全部娘がするという約束で犬との生活をスタートしたのですが、娘の力ではお散歩中に、犬の拾い喰いを阻止するのが難しく、出来なくて、さらにトイレ掃除も自分に余裕がある時は出来るけどやりたくないーってなる時もたくさん出てきて、結局娘が大好きなエサやりのみをやっている状況で、大変なトイレ掃除や散歩は、結末を娘に体験させることなく親がやっている状況でした。でも、やっぱりしたくないお掃除もやってほしいなっていう私の期待から、トイレ掃除を頑張って出来たらエサやりが出来るというお約束を一方的に私が取り付け、それに関するエピソードでした。 カウンセリングをしていただく中で、お掃除を頑張ったらエサやりができるというのは、賞罰を使っているよねという気づきをさせていただきました。 ☆4月の例会 4月29日の例会を報告します。 午前中は8人が参加しました。 1つの職場のエピソードを提供していただき、みんなで話をしました。 午後からは6人が参加しカウンセリングの練習をしました。 昨年、延期となった養成講座が8月に予定されています。 ☆5月の例会 午前は男性3名、女性5名 勇気づけの歌を読み、グループでのエピソード分析をしました。 今回もいいことを学んで帰ったはずなのに、実生活で実践するのは難しいです。 気を取り直して学んだことの報告をします。 うちの下の子の機嫌が悪くてこれは言いがかりだよねと思うことがあり、対応するのが面倒に感じた私は「ごめんね」と言いました。 「人間なら必ず協力的な私的感覚を持っている」と先輩が言われました。 午後はカウンセラー役をさせていただきました。 今回もみなさんとお会いできて、楽しくたくさん学びました。 ☆6月の例会 午前は女性4名男性3名が参加しました。 はじめに「勇気づけの歌」をみんなで読み上げました。 その後、私の事例を取り上げていただきました。 疲れて帰ってきて流しで弁当を洗おうとしていた時です。流しは比較的スッキリしているように見えました。 私(遠くでソファで寝ている娘に向かって大きな声で)「え?誰も洗ってないの?」 対処行動を 競合的と取り、私的感覚を見ることにしました。 私的感覚の
プラスは「健康に留意する」か「計画的に生活する」 娘や家族の良い面や良い意図をみんなで考えていただきました。 そういった強みをあらためて見直すことにより、不規則な時間に勤務していつもくたくたの娘ですが、これまで1度も遅刻したことがないことなどから、娘の課題である、「いつ寝るか」「いつ起きるか」「いつ皿を洗うか」などは、私が介入するよりも本人に任せたらいいのだと思えるようになりました。 代替案は、遠くのソファに寝ている娘に大きな声で起こっているように声をかけるのではなく、近くに寄り、落ち着いた声で「食器が残っているけど明日の朝までに流しをきれいにしたいのでそれまでに食器を洗っておいてくれる?」ということにしました。また、「健康に留意する」という思いも伝えたいので頭に「ちゃんと寝た?」と付け加えることにしました。
エピソードの続きの話ですが…お風呂にはいり、上がってきたら、娘はシンク周りを排水口まできれいにしてくれていて、 午後は二人でした。 あれこれどんな話をしたのか、一部をシェアします。
親の価値観を子どもにどう伝えるかが問題で、独裁的・強圧的な雰囲気ではなくアドラー心理学が「民主的」と呼ぶ雰囲気で伝えたい。
●子どもから言葉ではっきり頼まれたことを、親が少し無理をして引き受けた事例を考えました。 過保護の毒 2013年06月16日(日) ☆9月の例会 午前は女性3名男性1名の参加でした。 7月12日のできごとです。 対処行動を、 競合的と取り、私的感覚を探してもらいました。 事例から随分時間が経っていますので、丁度昨晩も、ソーセージを求められて、焼いて出したところではありました。感情、プラスとは言い切れなかった記憶です。 代替案は、 ロールプレイをしてもらって、 このエピソードは、いつか誰かに分析してもらおうと思って、放置していましたが、一人で考えるのではなく、分析してもらうことで洞察ができた、としみじみ思いました。ありがたいことです。 午後は、女性4人でした。 現役で子育てをされているメンバーさんが、教育の分野でビジネスしている人たちが、競合的な世の中をますます競合的にしている、ことを話してくれました。親が、子どもの意見をそっちのけにして、塾や家庭教師や問題集を一方的に決めることも珍しくない、と。そんな中で、小学校6年のご自身の子どもさんに、「塾に行くかどうか、自分で考えてもらえますか。値段についてはできる範囲を相談しましょう」とおっしゃった、とのことで、勇気がある、と感心しました。 最後のシェアリングで、 ☆10月の例会 午前 男性2名 女性3名
午後 男性1名 女性4名 午前は私の事例を取り上げていただいたので、報告します。 子 (算数の宿題)これってどうやるん? -1 対処行動は、「どれ~?四角に書きなさいって書いてあるね」 仮想的目標は、「うんうん。ここが11mでここが6m。あ、5m!!自分で考えたらわかるな。 娘の適切をみんなで探していくと、親の理想とは違うけれど娘が頑張っているところ、 娘の「これってどうやるん?」の目的をみなさんと考えていくうちに、「宿題が解ける」を目的にしていないことがわかりました。 私の方は「どうやるん?」と聞かれると、どうやって説明しよう?どうやったら答えにたどり着ける?何がわかってて何がわからないの? 代替案は、ふわ~とした雰囲気で「う~ん、難しいな~・・。この前の授業参観で算数なのに体育館で何かしたんやんな~(等々おしゃべり)お母さん隣にいるから、 家に帰ってから、大事なことは相手の目的を考えることと、寄り道をするのが良い場合もあることを思い出しつつ、 ☆12月の例会 午前 男性3名、女性3名 講演会は、保育現場での具体的なエピソードを「アドラー育児の歌」にそってお話ししてくださったので、とてもわかりやすかったです。エピソードは架空のものですが、子育て現場ではよくあるお話でした。 講演会の数日後、うちの小中学生の子どもたちと崩し将棋、挟み将棋、トランプ遊びをしました。 講演会の話と今の状況が同じだと気づきました。いつも私と子ども達はゲームに真剣で、勝つことを第一に考えていたと思います。子ども達は負けそうになると陰性感情を使って、「お母さんが強すぎる!!」「私ばっかり狙わんといて!!ずるい!」と泣いたり怒ったり、途中で駒を投げたり、トランプを折ったりしていました。勝つのは良いことで、負けるのは悪いことだと捉えているようでした。 今回の私は、崩し将棋では「あぁ、崩れそう?」、挟み将棋では「あぁ、しまった?。挟まれる?」とドキドキを楽しみながらゲームをしてみました。いつもは無言で真顔で真剣な母がキャッキャ言いながら遊んだので、子ども達はすぐに変化に気づき、上の子には「お母さん、どうしたん?大丈夫?」と心配され、下の子には「お母さん、楽しそう!どうしたん?」と聞かれたました。私が「楽しいね?。挟めそうでドキドキ、挟まれそうでドキドキ。真剣にやって、取っても取られても、こんな風に楽しめるんだね?。」と言うと、子ども達もにこにこしました。 親が「楽しくゲームしようね」とか、「グズグズ言わない!」なんて言わなくても、みんなでゲームを楽しむこと、勝ち負け以外のゲームの楽しみ方を学んでくれたと思います。 もしかしたら、子ども達はゲームでの勝ち負けが、自分自身の価値に関係するように感じていたのかもしれません。「勝った私はオッケー。負けた私はダメ」と考えていたなら、何としても勝ちたくて泣いたり怒ったりしますよね。 子どもに学んでもらうために、いつも親にはできることがあります。ゲームをしている時も子どもを育てているのだと考えると、いつもとは違う時間に感じます。お正月は子どもと一緒に過ごす時間が多いので、楽しみです。 どんなときでもプラスを見 午後は、男性1人、女性3人でカウンセリング練習を2ケース行いました。 また、私の私的感覚のマイナスは、「ウソをつく、ごまかす」といった事で、私が娘の行動を不適切だと感じる時はいつも、娘がウソをついている時で、今回もウソがからんでいました。そこで、娘はどうしてウソをつくのだろうか?というところを掘り下げていただき、ウソをつくことで注目を集めようとしているという話になりました。 カウンセリングを通して、私が娘の不適切な行動に直面した時、「こんなに頑張って子育てしてるのに報われないなんて、かわいそうな私、ダメな娘」状態におちいっていて、娘に対しても「生育歴的に、娘がその不適切な行動に走るのは仕方ないのかな」と思っているふしがある事に気がつきました。そしてこんな時は、全く娘の適切な面など見えていません。結局、適切な側面を探す、娘のことを信頼する、娘には友達と適切な関係を築いていく力を持っていることを信じるというパッセージの基本に立ち返る必要があるということを教えてもらいました。 *報告を作成できていない月があります。 |
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